大阪地方裁判所 昭和33年(わ)1386号 判決 1960年6月16日
主文
被告人を懲役壱年に処する。
未決勾留日数中百五十日を右刑に算入する。
但しこの裁判確定の日から参年間右の刑執行を猶予する。
訴訟費用≪省略≫
本件公訴事実中建造物侵入、器物損壊、放火、爆発物取締罰則違反の各教唆の点について被告人は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は文才炫、牟昌善、夫子浩、李智培他一名と共謀の上、かねて被告人等と相対立する行動をとつておつた大韓民国居留民団幹部に対し反省を促す目的を以つて、大阪市北区浮田町五十六番地大韓民国居留民団大阪本部事務所に所謂人糞弾、催涙弾並びに脅迫文等を投入して同本部幹部等を脅迫しようと共謀の上、昭和二十七年五月九日午前八時三十分頃、事務所附近の街路上に到り、被告人がその指揮者となり、李智培等は同所附近路上で見張りをし、文才炫は人糞、赤ペンキを空瓶につめた所謂人糞弾一個を、夫子浩は卓正義、金秀甲外六名に宛てた売国奴よ速に三千万同胞に謝罪せよ、然らざれば処断する旨記才した脅迫文一通(昭和三三年裁領第三一六号の第二一号)を、牟昌善はクロールピクリン液を空瓶につめた所謂催涙弾一個をそれぞれ同事務所に投げ込み、因つて
一、同所に居合せた同事務所事務員姜弘美、鄭静子、梁春子に対しその身体等に如何なる危害を加えられるかもしれないと畏怖させ、以つてそれぞれ脅迫し
二、人糞弾の投入によつて同事務所の床、壁、机、椅子等を汚損し、以つて右建造物、器物を損壊し
三、催涙弾により発する刺戟性ガスにより前記姜弘美、鄭静子、梁春子に対しそれぞれ三日乃至五日間の治療を要する急性結膜炎(両眼)を負わせ
四、その頃同事務所に来合せた同本部の幹部卓正義及び大韓民国居留民団泉大津支部副議長金秀甲をして前記脅迫文を披見させて、その身体等に如何なる危害を加えられるかもしれないと畏怖させ、以つてそれぞれ脅迫し
たものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(法律の適用)
法律に照すと、被告人の判示所為中一、二、四の暴力行為等処罰に関する法律違反の点は同法第一条第一項、罰金等臨時措置法第三条、刑法第二百二十二条第一項、第二百六十一条に、二の建造物損壊の点は刑法第二百六十条前段第六十条に、三の傷害の点は刑法第二百四条、罰金等臨時措置法第三条、刑法第六十条に該当するところ、右各所為は一個の行為で数個の罪名に触れるので、刑法第五十四条第一項前段、第十条により最も重いと認める梁春子に対する傷害罪の刑をもつて処断すべく、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を懲役一年に処し、刑法第二十一条により未決勺留日数中百五十日を右本刑に算入しなお情状刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二十五条により本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により主文第四項のとおり負担させる。
(一部無罪)
本件公訴事実中被告人が
第一、(一)昭和二十七年二月末頃大阪市生野区中川町の民家に於て文才炫等に対し三月一日記念日に催される各種大会に呼応し、対警破壊工作の一環として交番所を襲撃せよと指令し、これに基き文才炫、牟昌善、夫子浩等は共謀の上、
(1) 同年三月一日午後一時頃大阪市生野区勝山通五丁目勝山通警ら連絡所に侵入し、同所備付の電話機の受話機を引きちぎつて床上に投げつけて破壊し
(2) 同日午後二時頃同区南生野二丁目南生野二丁目警ら連絡所に侵入し、同所に備付の電話機を引きちぎつて床上に投げつけ、花瓶を窓ガラスに叩きつけ、以て受話機、花瓶、窓ガラス二十三枚を破壊し
(3) 同日午後三時頃同区片江町五丁目片江五丁目警ら連絡所に侵入し、同所に備付の電話機の送受話機を引きちぎり、椅子で窓ガラスを叩き、以て送受話機、窓ガラス三枚を破壊し
(4) 同日午後四時頃同区猪飼野東二丁目猪飼東警ら連絡所に侵入し、同所に備付の卓上電話機を床上に投げ、壁に取りつけた電話機の受話機を引きちぎつて床上に投げつけ、以て卓上電話機を破壊し
以て人の看守する建造物に侵入して器物を損壊するに至らしめ
(二) 同三月一日夜、前同所に於て、文才炫、柳志浩に対し、三月四日も前同様の対警破壊工作をなすべき旨を指令し、これに基き文才炫、柳志浩、牟昌善、夫子浩等は共謀の上同年三月四日午後八時過頃、大阪市生野区舎利寺町一丁目百二十番地野生警察署公舎に硫酸、ガソリン、塩素酸加里からなる爆発物である所謂火焔瓶を投入し、爆発燃焼せしめて放火し、同警察署巡査部長福地礼次郎等の居住する同公舎の床板上敷居等を焼燬するに至らしめ
以て文才炫等の右各犯行をそれぞれ教唆したものであるとの点について考えるのに、
先ず、第一(一)の点については、夫子浩の検察官に対する昭和二十七年九月二十五日付供述調書………≪中略≫………
を綜合すれば文才炫、牟昌善、夫子浩等は昭和二十七年二月末頃会合し、同年三月一日開催される所謂三・一記念日行事と相呼応して気勢を挙げると共に、右行事に干渉しようとする警察に対しこれが牽制の目的で、生野警察署警ら連絡所に侵入して備付の器物を破壊しようと共謀の上、同年三月一日前記公訴事実第一(一)の(1)乃至(4)記才の各犯行をなした(但し(2)の破壊した窓ガラス三十三枚は窓ガラス三枚と認められる)事実を認めることができ、
次に第一(二)の点については、夫子浩の検察官に対する第一回乃至第四回及び昭和二十七年十一月一日付、同月十九日付各供述調書………≪中略≫………
を綜合すれば文才炫、夫子浩、牟昌善、柳子浩等は昭和二十七年三月二日頃会合し、大阪市生野区舎利寺町一丁目百二十番地所在の生野警察署長公舎に所謂火焔瓶(ガラス瓶に濃硫酸と揮発油を入れ、瓶の外側に塩素酸カリウムを紙片に塗つて貼付したものであつて爆発作用そのものによる直接の破壊力なく急激な燃焼作用をも伴うものでないから爆発物取締罰則にいわゆる爆発物に該当しないもの)を投入して放火して警察権力の不当な干渉弾圧に対し報復し、以つてこの忿懣をはらす目的を以て、共謀の上、同年三月四日午後八時頃、夫子浩、柳子浩は同公舎炊事場出窓下附近に、文才炫、牟昌善は玄関板の間に、各ガソリン一升宛散布し、これに火焔瓶一本宛を投入して発火せしめて放火し、因つて同公舎板の間、柱、中央廊下、その両側の六畳間の上敷居等に延焼せしめ、以て同警察署巡査部長福地礼次郎等三家族の住居に使用する家屋の一部を焼燬した事実を認めることができる、しかるところ、被告人が右文才炫等の前記各犯行を教唆した犯人であることに関する証拠としては柳志浩の検察官に対する第三回供述調書を措いてほかにないのであるが、この供述調書の任意性について調査してみるのに、その点について
一、柳志浩は、差戻前の第八回公判調書中の同人の供述記才によれば、「私が保釈になる時、森島検事は私の供述調書の内容にAと述べているのを指して“Aは佐々木のことだろう”“裁判所にはこの調書は提出しないから”と私に承諾させ、調書を作成したのであるが、裁判が進行するにつれ検察官の陰謀が明らかになつて来たのであつて提出しないからとポケツトにしまつたものを証拠として提出したものである」と供述し、差戻後の第六回公判調書中の同人の供述記才によれば、右の調書は取調官であつた「森島検事が勝手に作つたんです、こいつはもう法廷に出すもんでない、とにかく佐々木だということを認めろ、認めなかつたら何回も勾留するというのでいやおうなしにああいうものを作つたのであつて同検事はこれは自分のポケツトにしまうだけだ、悪いようにせんから、そのようにしておけ」という事情で作成されたものであると供述し、
2、取調検察官であつた森島忠三は、差戻後の第八回公判調書中の同人の供述記才によれば、「調書(柳志浩の検察官に対する第三回供述調書)を取つたところ、柳志浩がこれは裁判所へ出るかと言うので、私は、裁判所へ出すために調書をとつておるのだ、けれども、被告人調書だから法廷には一番最後に出るだろうということを話して聞かせました云々」と供述し、問題の供述調書について「法廷に提出して証拠としない」旨の約束があつたかどうかの点について、取調官と被取調者の主張が対立してその何れを信用すべきか判断に苦しむのであるが、本件一件記録によれば、昭和二十八年六月五日の第五回公判において、立会の小嶌信勝検察官から同日付の証拠調請求書に基いて夫子浩の検察官に対する供述調書八通及び警察官に対する供述調書七通、牟昌善の検察官に対する供述調書二通及び警察官に対する供述調書四通、柳志浩の検察官に対する供述調書二通(昭和二十七年十一月十七日付、同月二十一日付のもの)及び警察官に対する供述調書三通等の一括取調請求があり(前記公訴事実と被告人を結びつける証拠となるものは全然存しない)、更に同年六月十五日付で夫子浩の検察官に対する昭和二十七年十二月二十七日付供述調書の取調請求があり(この供述調書において夫子浩は被告人に面接させられ、これまで申上げたとおり自分達がこの人(通称佐々木)の指示に従い、大阪市北区浮田町の民団本部を襲撃して人糞弾や脅迫文、催涙弾等を投げこんだものである旨を供述している)、前記公訴事実と被告人とを特定結びつける可能性のある唯一の証拠である柳志浩の検察官に対する第三回供述調書は昭和二十八年七月十三日の第七回公判に至り始めて、立会の小島検察官から取調請求があり、前記検察官、警察官に対する各供述調書がその際全部一括して同時に取調べられたことが明らかである。
このように検察官にとつて、本件の公訴維持につき決定的ともいうべき重要な価値を有すると考えられる柳志浩の右検察官に対する供述調書が、ことさら他の供述調書より遅れて検察官から取調べ請求があることは、通常の訴訟経過からみれば異例のことに属すると言えるのであるが、この点について、
当時の立会検察官小嶌信勝は、差戻後の第七回公判調書中の同人の供述記才によれば、「二十八年六月五日付の証拠調べを致しました際に、この事件の捜査担当検事である森島検事と協議いたしました結果、森島検事は六月五日付に申請しました証拠書類をまず取調べ請求してくれとこういう申出だつたので、その請求をしました。それから後日この六月五日の取調べの請求した供述調書の中で、被疑者の自白調書があるんですが、辛重学についての自白調書については、辛重学とか、あるいはその人の日本名が表示されておらずに関係者共犯の名前がA、B、Cというように表示された調書だつたのです、そこで森島検事としては一応その請求をした上で、それを良く仔細に検討すれば、おのずから、そのAは誰であるかわかつてくると、こういうように申しておりましたんですが、いろいろ検討しました結果、これで完全ではないということで、更に森島検事と協議した結果森島検事から柳志浩に対する昭和二十七年の十一月二十二日付供述調書(第三回)を渡されましたので後日それを取べ請求したわけです、そのときまでその調書は私の手許にはありませんでした」と供述し、又昭和二十八年六月五日付証拠調請求書を提出するについて、森島検事と協議した際のことに関して、「森島検事としては、柳志浩が最後に辛重学のことを自白したと、その調書があるということを私は聞いたように思うんです。何故森島検事が出ししぶつていたかということは柳志浩の自白は同志をうらぎることだと、うらぎつたことがはつきり法廷であからさまになつては困るから、なるべく柳志浩の調書を使わずに、ほかの調書で立証できたら立証さしたいとこういう趣旨だつたと思います云々」と供述し、これに反し、捜査担当検事であつた森島忠三は、差戻後の第八回公判調書中の同人供述記才によれば、
問「(柳志浩の検察官に対する第三回供述調書)についてその当時公労係におつた小嶌検事から何かお話を聞いたことがありますか」
答「別に記憶ありません」
問「この第三回調書ですね、一般の記録から特別に分離して入れておつたということはないですか」
答「そんなことはありません」
問「この前小嶌検事がね、柳志浩の第三回調書は一般のほかの調書から別にして机の中にあつたのを取り出してくれたという意味の証言をしておつたんですが」
答「そんなことはありません」
とあつて、前示証人小嶌信勝の供述記載と著しくくいちがいがあるのであるが、前記のとおり柳志浩の検察官に対する第三回供述調書の取調請求がことさら時機的に遅延していること、小嶌証人の供述内容は右柳志浩の検察官に対する第三回供述調書を取調請求するにいたつた経過を素直に供述しようとしている態度がうかがえるのに反し、森島証人のこの点に関する供述内容はあいまいなものがあつて、当時右供述調書の取調請求を躊躇させる何等かの事情があつたのではないかということを感ぜざるえない。その事情について小嶌証人は森島検事の意思を前掲摘示のごとく推測しているのであるが、しかし捜査にあたつた森島検事が柳志浩の検察官に対する第二回供述調書に所謂Aなる人物が誰であるかは、他の調書を仔細に検討すれば自ら明らかになるとか、なるべく柳志浩の検察官に対する第三回供述調書を使わずに立証できたらと、いうごとく希望的にも考える余地のなかつたことは、本件における検察官側の全立証経過、その立証内容等に徴し極めて明白であつて、右の小嶌証人のいうごとき推測はあたらないものといわなければならないし、また柳志浩の検察官に対する第三回供述調書は第二回供述調書が作成されたその翌日に作成されたものであることは記録上明白であるところ、第二回供述調書までは柳志浩は捜査官に対し「A」なる仮名を用い、被告人の名前を全然明らかにしていなかつたのに、第三回供述調書において「これまでA某とのみ申上げていた人は日本名で佐々木と申し、写真の男に間違いない」旨供述しているのである。それまでに何回となく捜査官から取調を受けても、全然被告人の名を口にしなかつて柳志浩が何故突然、被告人の氏名を自白するにいたつたかということについて、柳志浩の右第三回供述調書には「只今までその人の名を申上げなかつたのは別に深い意味はありませんが、私の口から言いにくかつたのであります」と一応の説明をしているけれども、何故同人が心境の変化を来し、森島検事に右の自白をするにいたつたかという詳細な事情は、森島証言によつてもついにこれを明らかにすることができなかつたこと等より推察すれば、柳志浩の検察官に対する第三回供述調書は、柳志浩の供述するごとく、取調官である森島検事が柳志浩に対しこの供述調書は作成されても、これを法廷に提出せず、従つて証拠としない約束のもとに作成されたのではないかとの疑が極めて濃厚であると認めざるをえない。しかして、検察官が法廷に提出しない即ち証拠としない旨の約束に基いてなされたと疑うに足りる相当な理由のある場合の供述は、いわゆる任意にされたものでない疑のある供述と解すべきであるので、柳志浩の右供述調書は証拠能力がないものというべく採つてもつて罪証に供することはできない。しかるところ本件においては他にAなる人物を特定する証拠がないのであるから被告人に対し前記各教唆の点について有罪を断ずることができないものといわなければならない、されば本件公訴事実中建造物侵入、器物損壊、放火、爆発物取締罰則違反各教唆の事実は結局犯罪の証明がないものというべく、刑事訴訟法第三百三十六条後段により、被告人に対しこの点につき無罪の言渡をすることとする。
よつて主文のとおり判決する、
(裁判長裁判官 杉田亮造 裁判官 雑賀飛竜 三存吉忠)